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熊本地方裁判所 昭和51年(ワ)459号 判決 1977年11月15日

原告

平島信雄

ほか一名

被告

川村武久

ほか一名

主文

一  被告川村武久は原告平島信雄に対し金二二五万三七二九円、原告平島千恵子に対し金一九九万三七二九円、およびそれぞれに対する昭和四八年九月一四日以降各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らの被告崎山宗枹に対する請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用中、原告らと被告川村武久との間に生じた部分はこれを三分してその一を被告川村武久の、その一を原告らの負担とし、原告らと被告崎山宗枹との間に生じた部分は全部原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは連帯して、原告平島信雄に対し金八〇〇万七、四五八円、原告平島千恵子に対し金七四八万七、四五八円、およびそれぞれに対する昭和四八年九月一四日以降各支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

(被告崎山宗枹)

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外平島孝一他二名は、昭和四八年九月一四日午前一時ころ、被告川村武久運転の普通乗用車(沖五一―八八五五)に同乗し、国道五七号線を熊本市方面から阿蘇方面へ向け進行中、熊本県阿蘇郡波野村大字小池野九六二番二地先路上にさしかかつた際、同所がゆるやかなカーブとなつていて、法定制限速度が時速六〇キロメートルであるのに、被告川村武久において時速一〇〇キロメートル以上の速度で前記乗用車を運転走行したため運転操作を誤り、スリツプして同所ガードロープ支柱に激突し、平島孝一は全身打撲を受けシヨツク死した。

2  被告崎山宗枹は右乗用車の所有者であり、自己のため運行の用に供する者である。

3(一)  原告平島信雄、同平島千恵子は亡平島孝一の父母である。

(二)(1)  平島孝一は本件事故により死亡したが、同人は本件事故当時二二歳であり、年間収入(含賞与)は一二七万二、〇〇〇円であつたので、就労可能年数を四五年、新ホフマン式系数を二三・二三一、生活費控除を五割として計算すると、同人は右死亡により一、四七七万四、九一六円の得べかりし利益を喪失し、右同額の損害を被つた。

(2) 右死亡による平島孝一本人の慰藉料は一五〇万円が相当である。

(3) 原告平島信雄は平島孝一の死亡により、葬儀費、諸経費合計五二万円の出捐を余儀なくされ、右同額の損害を被つた。

(4) 原告両名の、平島孝一の死亡による慰謝料はそれぞれ一七五万円が相当である。

(5) 原告両名は、本訴提起に伴い、それぞれ弁護士費用一〇万円を要した。

(三)  原告両名は、平島孝一の相続人として、同人の右(二)(1)(2)記載の逸失利益および慰謝料相当の損害賠償請求権を各二分の一づつ相続した。

(四)  なお、原告両名は、自賠責保険により各二五〇万円あての給付を受けたので、右金額をそれぞれ控除する。

以上により、原告両名が平島孝一の死亡により受けた損害額は、原告平島信雄につき八〇〇万七、四五八円、同平島千恵子につき七四八万七、四五八円である。

よつて原告らは被告らに対し、各自右金員およびそれぞれに対する本件事故発生日たる昭和四八年九月一四日以降支払いずみまで民法所定の年五分の割合による各損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否

(被告川村武久)

被告川村武久は適式の呼出を受けたのに第一回になすべき口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しない。

(被告崎山宗枹)

1 請求原因1の事実は不知。

2 請求原因2の事実のうち、原告主張の乗用車が被告崎山宗枹の所有であることは認める。

3 請求原因3の事実のうち、原告らが平島孝一の父母である事実、および原告らが自賠責保険より各二五〇万円の保険金給付を受けた事実は認めるが、その余の事実は争う。

三  抗弁

(被告崎山宗枹)

運行支配喪失の抗弁

一 本件乗用車は被告崎山宗枹が同人の子である訴外崎山肇に買い与えたもので、本件乗用車の実質的所有者は崎山肇である。即ち被告崎山宗枹は沖繩に居住するものであるが、崎山肇は熊本工業大学に在学中で熊本市に居住し、本件乗用車は崎山肇が専ら熊本市において管理使用していたものであり、被告崎山宗枹には本件乗用車に対する管理支配権能はなく、既に成人に達した崎山肇が自己の責任において管理支配していたものであり、その運行利益も全く崎山肇が享受しており、被告崎山宗枹は本件乗用車に対する運行支配、運行利益をともに喪失していた。よつて被告崎山宗枹は本件乗用車について運行供用者とはいえない。

二 然らずとするも、次の理由により被告崎山宗枹は原告らとの関係では運行供用者ではない。即ち崎山肇は昭和四八年当時、熊本工業大学四年生であり、平島孝一は崎山肇と同学年である被告川村武久を介して互に交友関係にあつた。ところで昭和四八年九月一三日夜、被告川村武久、平島孝一他一名はドライブを計画し、ついては崎山肇を欺して同人の管理・使用する本件乗用車を借り受けることを談合し、同日午後一〇時すぎころ被告川村武久において、右三名でドライブに行くことをことさら隠し、ほんのちよつとの間本件乗用車を貸してくれるよう崎山肇に懇請した。

本件乗用車は、被告崎山宗枹が購入してから間もない昭和四八年型の新車で、同年八月六日一、〇〇〇キロ定期点検整備を終えたばかりであり、当時崎山肇は本件乗用車に非常な愛着をもち、所謂馴らし運転を専らとし、大切に管理使用していた次第であり、そのような次第で崎山肇は本件乗用車を他人に貸すことを好まず、被告川村武久の前記申出を、本件乗用車のガソリンがほとんどなくなつていることを理由に断つた。

しかるに被告川村武久は急用で短時間借りるだけである旨熱心に頼むので、崎山肇は、被告川村武久が、本件乗用車にガソリンがほとんどないことを知悉したうえで貸与方を依頼するのだから真実急用であり、かつただちに本件乗用車を返還してくれるものと信じやむなく本件乗用車を被告川村武久に貸与した。

然して崎山肇は、被告川村武久、平島孝一、訴外早瀬孝幸の三名が本件車に乗り込んだ際、前記の本件車に対する愛着心から本件車は新車で目下馴らし運転中であり、運転するについてはスピードを出さず運転されたい旨念を押し、右三名共これを了した。

然るに右三名はドライブという所期の目的を達すべく、同日午後一一時ころ被告川村武久の運転でドライブに出発したが、本件乗用車にはガソリンがほとんどなかつたため、途中平島孝一においてガソリン四〇リツトルを購入給油し、国道五七号線を阿蘇方面へ進行した。

進行中、被告川村武久は、深夜でしかも雨あがりの滑りやすい路面を時速約一〇〇キロメートルくらいで走行したが、同乗者中危険を感じてこれを制する者がいなかつたばかりか、平島孝一は自ら「とばせ」などと気勢をあげ、被告川村武久の無暴運転を積極的に助勢した。そしてその途中、被告川村武久がそろそろ熊本へ引き返そうと提案したのに対し、平島孝一は、せつかくガソリンをいつぱい入れたのだからもつと先まで行くよう同人に指示した。そこで平島孝一の右指示に従い、被告川村武久は本件乗用車を運転してさらに先へと進行し、九月一四日午前一時ころ熊本県阿蘇郡波野村の本件事故現場附近にさしかかつたが、それまで追い抜き合いをしていた他の乗用車に追い越され、時速一〇〇キロメートルくらいで走行する右乗用車を追従中、平島孝一らの声援を受けた被告川村武久において時速一二〇キロメートル以上に加速して右乗用車を追い越したが、その直後、前方道路が右にカーブしているのに気付き、左車線に戻るべく軽くハンドルを左にきりブレーキをかけたところ、右スピードの出し過ぎにより本件乗用車は滑走して同所道路わきのガードロープ支柱に激突大破した。

以上、崎山肇が本件乗用車を被告川村武久らに貸与するに至つた経緯、右貸与に際し崎山肇が付した条件、被告川村武久、平島孝一らの本件乗用車の運転ないし同乗の態様、等の事情に照らし、本件乗用車の運行支配は、一般通行人らの第三者との外部関係においてはともかく、本件乗用車の管理者であり貸与者である崎山肇と無償同乗者である平島孝一ら被害者との間においては、貸与の当初から、崎山肇より被告川村武久、平島孝一らへ完全に移転していたものであり、崎山肇は本件乗用者の運行供用者ではなく、さらに被告崎山宗枹は、崎山肇の右貸与行為には全く関与しておらず、被告崎山宗枹と平島孝一らとの間において、被告崎山宗枹も本件乗用車の運行供用者とはいえない。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実中崎山肇が熊本工業大学に在学し、本件乗用車を管理使用していたこと、崎山肇、平島孝一、被告川村武久の交友関係及び右三名が事故当日ドライブに行くことを企図して、平島がガソリン四〇リツトルを購入して国道五七号線を阿蘇方面に向つて時速約一〇〇キロメートルのスピードで本件事故現場にさしかかつたことは認めるがその余の事実は否認する。被告崎山宗枹は原告主張のとおり本件乗用車の運行供用者である。

第三証拠〔略〕

理由

一  原告らの被告崎山宗枹に対する請求

被告崎山宗枹が本件乗用車の所有者であること及び平島孝一と原告らの身分関係については当事者間に争いがない。

原本の存在及び成立に争いのない甲第一ないし第三号証、同第五、七号証、同第一〇ないし第一三号証によれば、請求原因1の事実を肯認するに充分で右認定に反する証拠はない。

そこで被告崎山宗枹の抗弁につき検討するに、原本の存在及び成立に争いのない甲第九ないし第一三号証、同第一五号証、原本の存在及び成立に争いのない乙第一、二号証、同第五号証を総合すると、次の事実が認められる。

被告崎山宗枹は沖繩県内に居住するものであり、同人の実子である崎山肇は本件事故の発生した昭和四八年九月一四日当時、熊本工業大学四年に在学して熊本市内に居住していた。当時同人は卒業間近で卒業研究にかかつていたが、その研究の大半が調査活動で自動車を必要としたため四八年七月末ころ被告崎山宗枹に頼み同人名義の本件乗用車を借り受け、沖繩から熊本に運搬して、以来管理使用していた。

被告川村武久も当時熊本工業大学四年生で崎山肇と同学年であり、平島孝一は被告川村武久を介し崎山肇と知り合い交友関係にあつた。(右の事実は当事者間に争がない)

昭和四八年九月一三日夜、被告川村武久、平島孝一らの間で、被告川村武久の運転でどこかへドライブに行くこと、ついてはドライブに必要な車を同人ら知り合いの崎山肇から借り受ける旨の話がまとまつた。

そこで被告川村武久、平島孝一らは同年九月一三日午後一〇時過ぎころ本件乗用車を借り受けるべく崎山肇の下宿先へ赴き、被告川村武久において崎山肇に対し、ドライブに行く計画であることをことさら隠し、少しの間だけ本件乗用車を貸してくれるよう依頼したが、本件乗用車は当時購入してから間もない新車であり、所謂馴らし運転中で大事に運転していたため、崎山肇はこれを他人に貸す気になれず、ガソリンがほとんどはいつていないことを理由にこれを断つた。

しかるに被告川村武久は、友人のところへ行く急用があり、ほんの一〇分くらいでいいから本件乗用車を貸してくれと懇請するので、ガソリンがほとんどないことを了解したうえで本件乗用車の貸与方を熱心に依頼するのであるから、真実急用であり、かつ用済み後はただちに返還してくれるものと信じ、やむなく同人に本件乗用車を貸与した。

崎山肇は本件乗用車を貸与した際、被告川村武久、平島孝一らに対し、本件乗用車を運転するについては新車であるからスピードを出さず安全に運転するよう念を押し、同人らはこれを了した。そして、平島孝一は本件乗用車に同乗し、被告川村武久の運転でドライブに出発したが、ガソリンがほとんどはいつていなかつたため、ドライブという所期の目的を達すべく、途中平島孝一がガソリン四〇リツトルを買い受けて給油し、国道五七号線を阿蘇方面へ向け進行した。

被告川村武久は深夜で、しかも雨あがりのぬれた路面であるのにその間本件乗用車を時速約一〇〇キロメートルの高速で運転走行したが、平島孝一ら同乗者はこれを制するどころか、平島孝一においてはかえつて「とばせ」などと言つて煽動し、右高速運転に拍車をかけた。その後被告川村武久は高速運転に不安と危険を感じそろそろ熊本へ引きかえそうと提案したのに、平島孝一は、もつと先まで進むよう同人に要請し、さらに前進を続けた。

かくて同年九月一四日午前一時ころ、熊本県阿蘇郡波野村の本件事故現場にさしかかつたが、それまで本件乗用車と追い抜き合いをしていた他の乗用車が本件乗用車を追い越すや、平島孝一は被告川村武久に「とばせ、とばせ」「追い越せ、追い越せ」などと言つて時速一〇〇キロメートル以上で暴走する右先行車を追い越すよう指示・煽動し、右指示・煽動を受けた被告川村武久において時速約一五〇キロメートル近くまで加速して右側車線に出て先行車を追い越したが、その直後、本件事故現場付近の前方道路がゆるやかな右カーブになつていることに気がついた同人が左車線に戻るべく軽くハンドルを左に切り、同時にブレーキをかけるや、スピードの出し過ぎのため、本件乗用車は安定性を失い、滑走しながら同所道路脇のガードロープ支柱に激突大破し、同乗者平島孝一は全身打撲によりシヨツク死した。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

そこで以上の認定事実を前提として考察するとき、一般の通行人等との外部関係においてはともかく、本件乗用車の貸与者である崎山肇および本件乗用車の所有者である被告崎山宗枹と被害者平島孝一との間においては、本件乗用車に対する運行支配は崎山肇および被告崎山宗枹より完全に逸脱し、同人らは本件事故に関し、被害者平島孝一に対し運行供用者としての責任を負うものではないと判断するのが相当である。

そうすれば、被告崎山宗枹が本件乗用車の運行供用者であることを前提とする原告らの被告崎山宗枹に対する本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がなく、失当といわねばならない。

二  被告川村武久は、適式の呼出を受けたが本件口頭弁論期日に出頭せず、答弁書その他の準備書面を提出しないから民事訴訟法一四〇条三項により原告らの請求原因事実を自白したものとみなすべきである。

そこで検討するのに本件事故がいわゆる好意同乗中午前一時頃時速一〇〇キロメートル以上の運転により発生したことは原告らの自認するところであるから以上の事実を斟酌して、平島孝一の損害(逸失利益)及び原告平島信雄の葬儀費、諸経費の損害につき五割を過失相殺すべく、なお以上の事情を斟酌するときは平島孝一の被告川村武久に対する慰謝料は六〇万円、原告らの固有の慰謝料は各五〇万円を以て相当とする。

してみれば被告川村武久は原告平島信雄に対し二二五万三七二九円、原告平島千恵子に対し一九九万三七二九円及びそれぞれに対する本件不法行為の後である昭和四八年九月一四日以降完済まで民法所定の年五分の割合による損害金支払の義務がある。

三  そこで原告らの被告川村武久に対する本訴請求は右認定の限度で理由があるから認容すべく、被告崎山宗枹に対する請求は棄却を免れず訴訟費用につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 松田富士也)

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